回想 インド少数民族を訪ねて

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長文となっています。忙しい方は巻末のYouTube動画をご覧ください。

2010年2月インドに1か月間旅行した。支離滅裂な交通事情。牛、野良犬、ラクダが道路脇や道路を徘徊し、街はいたる所がゴミだらけ。そして、なぜこんなに人がいるのかというほど、人、人、人。街頭には貧しい人と物乞いがあふれている。

この時の経験を端的に表現すると「無秩序・混沌・貧困」となる。言語、宗教、気候、食習慣、文化どれをとっても日本とは違って多種多様である。

その多様なものを許容し、すべてを自分の中に納めてしまう寛容な国でもあった。その強烈なエネルギーにショックを受けながらも、なぜか底知れぬ不思議な魅力を感じた。そんなインドの独特の文化や生活に興味を引かれ、喧騒と貧困の世界に再び飛び込んだ。

今回は南インドの世界遺産などの観光と、絶滅の危機にあるベンガル虎のウオッチング、そしてインド東部の山岳地帯の少数民族の探訪、さらに政情の安定したスリランカまで足を伸ばした。

この旅行記は、オリッサ州の少数民族の生活についてなどを深堀した。

全行程 2010年11月17日~2010年12月17日(31日間)
このうち少数民族の探訪は7泊8日の行程を組んだ

同乗者 親友のO君、インドの添乗員(日本が出来る)
現地ガイド、ドライバー 合計5名


旅を通じてその国特有の自然や文化に触れ、その国の人々や風変わりな風俗を見たりすることは、旅の大きな魅力である。インド東部オリッサ州の山岳部には、今でも60以上もの民族が現存し、独自の生活様式・言語を継承する少数民族が数多く暮らしていると言う。

今回の旅行の主テーマは、失われつつある少数民族を深堀りした。

そこでインド専門の旅行社バイシャル・トラベルのサニー社長に相談した。社長曰く「この地帯は低カースト層のマオイスト(毛沢東主義の信奉者)が、さまざまなゲリラ活動をしていて危険です。

現地から詳しい情報を取り寄せてみましょう」と即答を避けた。しばらくしてサニー氏から「部族の集落には入ることができないが、毎週行われている市場の見学なら安全です」との回答があり、具体的な計画を依頼した。

これを聞いた愚妻は、「くれぐれも無茶な行動は謹んでくださいね。拉致でもされて、税金の無駄遣いになったら困りますよ」とのたまう。

少数民族の探訪は7泊8日の行程を組んだ。市場の行われる場所までの道のりは難儀した。オリッサ州の大都市プリーから陸路を車で13時間。山間の路面は起伏が激しく、腸ねん転を起すほどのダートロード延々と続いる。同乗者は現地ガイドが加わり5名。こんな長時間の悪路走行は疲労が激しい。O君は時々、バックミラーに映ったドライバーを眺め、「目が死んでいる。眠っているのではないか」と心配している。インドのプロドライバーは眠ったままでも、2~3km走るウルトラCをやってのけると言うが、真偽のほどは疑わしい。夕暮れ時、何とか無事にラヤガタの宿泊地に到着した。

翌日からドングリア・コンダ族、デシア族、マリア族、ムリア族、ボンダ族などの市場めぐりが始まった。それぞれの部族たちは丘の上や山間部に住み、農耕や狩猟などで生活をしている。普段は外界とは一線を引いて暮らしているが、週1回開かれる定期市場に物々交換のため平地に下りてくる。市場には新鮮な野菜、鳥や羊の肉類のほかに酒、なべ、釜などの日用品は一通り整っている。

部族の中でもお目当ては、1,000年前からほとんど変わらず原始的な姿を留めているのがボンダ族である。ボンダ族の集落は立ち入ることができないので、彼らと接触できる唯一の方法はオノコデリの木曜市である。

ボンダ族の女性は市場に着飾ってでくる。首にアルミ製の首輪を付け、ビーズのネックレスを胸の前にたらし、20cm程の腰布のみを身に着けている。その華やかな衣装や装身具は美しい。この格好からボンダ族の女性は一目で分かる。村の中では上半身裸のトップレスのようだ。男性は特別な衣装で着飾ることはないが弓矢を持ち歩いている。性格がきつく好戦的である。彼らの写真撮影は危険で、絶対にしないようにと現地ガイドから何度も注意された。

木曜市にはそれぞれが収穫した野菜などを、頭に乗せて20kmも離れた部落から運んでくる。これは女性の仕事のようである。男性は酒を持って売りにくるが、途中で売り物の酒を飲んで酔っ払ってしまった男もいた。どこの人種も女は逞しく、男はだらしない。酒を試飲したところアルコール濃度は低く、酸っぱいような味がした。

ボンダ族の人口は2,500人~5,000人。部族以外の結婚はご法度とされている。このために長い間、閉じられた社会で純血を保ってこられたのだろう。

その他の部族は部族間や一般のインド人に同化され、混血が多くなっているそうだ。僕たちは部族の水曜市、木曜市、金曜市を次々と見学した。市場ではいろいろの部族が行きかっていたが、その違いを見分けることは難しかった。

次に、平地に暮すドゥルバ族?の民家を訪問した。この部族は箕(み)や竹籠などの竹細工の加工を生業としているほか、農耕・牧畜も行っている。そこに道があって、畑があって、民家がある。牧歌的で美しい自然が広がっていた。人間が住んで暮らして行くと自然は破壊されてしまうが、ここは人間が住んでいるからこそ、綺麗な景色が残っているようであった。

村の人々は穏やかで、やたらチップを要求することもなく、自制の利いた態度は好感がもてた。言葉は通じないものの暖かいぬくもりを感じた。子ども達は人懐っこく底抜けに明るい。皆、目をキラキラさせて写真に写りたがってよってくる。住居は牛の糞を混ぜた土壁に、屋根は日干し煉瓦を葺いた簡素ものだが、雨風を防ぐには充分なものであろう。

デリーやムンバイなどの大都市のスラム街に住む貧困層は、目を覆いたくなるような悲惨な暮らしをしている。だがインドの最貧困地区のオリッサ州の人々は貧しいながらも、ハッピーに暮らしているよう見えた。それはお互いの絆を大切にし、助け合い、自然と共存して生きているためであろう。

ふらりと訪れた旅行者のエゴかもしれないが、少数民族の伝統ある独自の文化は永続して欲しいものだ。この地方が急激に近代化・観光化し、文明の悪い面を取り入れて俗化されることのないよう。純真な原始の心を失ったりしないよう願ってやまない。

今や近代化により民族の伝統が失われるのは、世界的傾向となっている。我々の世代までは身近な存在であった日本の里山が崩壊し、古きよき時代の素朴な雰囲気を失ってしまったのは寂しいことだ。

旅の終盤、頑健な相棒O君が体調を崩した。39度以上の発熱と、咳をともない苦しそうだ。ホテルに医師の往診を頼んだ。インドで流行している、インフルエンザであった。同じ部屋にいる僕は、感染を恐れてベッドを遠く離して寝たものの効果がなかった。そして同乗のガイドとドライバーも次々に感染し、こぞって苦しめられた。それでもこの旅は、満足度の高いものであった。

日ごろ緊張感がなく、ぐうたらで、なまけた生活している僕にとって、異国で「見るもの」「聞くもの」「味会うもの」は新鮮な感動をもたらしてくれた。個性の強い人間や集団がひしめきあい、価値観の異なる人々の生き方は強く心に残った。

好奇心は脳の細胞を活性化するのに欠かせないもので、それが無くなると、脳の老化はどんどん進行すると言われる。

その点旅は、沢山の好奇心を満たすことができると思える。何ごとにも挑戦しようとする行動力が高まってくるようだ。また、適度な緊張感は精神を若がえらせ、免疫活性を高める効果があるようだ。脳の老化を遅らせ、いつまでも楽しく豊に生きるためにも旅を続けたいものだ。

<参考>

五木寛之さんの著書『回想のすすめ – 豊潤な記憶の海へ』は、不安な時代にあっても変わらない資産があることを語っている。それは人間の記憶であり、一人ひとりの頭の中にある無尽蔵の思い出である。

年齢を重ねれば重ねるほど、思い出が増えていくと言う。記憶という資産は減ることはなく、高齢者ほど自分の頭の中に無尽蔵の資産があり、その資産をもとに無限の空想や回想の荒野に身を浸すことができるそうだ。

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